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震災から5年、津波で失った息子を探し続ける男性の活動に多くの笑顔が拡散 涙の果ての思いとは

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東日本大震災で非常に大きな被害があった福島県南相馬市、原町区萱浜(かいはま)。
今年もその場所には巨大な迷路になった菜の花が咲き乱れます。

出典:www.facebook.com

週末には多くの家族連れで賑わい、子供達は菜の花を潜り歓声を上げる。
そんな光景がこの場所にはあります。

この菜の花畑は、津波で行方不明になった人の捜索を続ける地元グループ「復興浜団」が「津波被災地をみんなが笑い合える場所に」という目的で、毎年リーダーの上野敬幸さんの自宅周辺に菜種を植えて迷路を造る催しです。

出典:readyfor.jp

上野さんは、5年前の大震災で両親と当時8歳の娘さん、3歳の息子さんを失いました。

2011年3月11日、南相馬市では福島県最大の津波犠牲者を出し、上野さんの住む集落も約7割が流出してしまったといいます。津波が去った後に捜索を開始した矢先、福島第一原発が水素爆発し、避難命令が出されました。

出典:www.flickr.com

避難を拒み、警察も自衛隊も来ない中で上野さんは仲間と共に捜索を続け、40人以上の遺体を見つけました。この時、母と当時8歳であった長女の永吏可ちゃんの遺体も発見し、上野さんは自らの手で安置所へ運びました。しかし、父と当時3歳だった長男・倖太郎くんは未だ行方不明のままです。

出典:www.facebook.com

仕事に出ていて難を逃れた妻の貴保さんとは再会できたものの、ずっと救助活動に当たっていたため、かけがえのない子供達や両親を助けてあげられなかった後悔は今もなお上野さんの胸の奥に残っています。

出典:readyfor.jp

瓦礫の下で見つけた顔は近所の見知った顔ばかりで、多くの泣き声と、遺体を抱きしめる姿がそこにはあったそうです。
遺体を軽トラックで運ぶという胸中はいかほどのことだったのでしょうか。
私達には推し量ることすら憚られる余りにも辛い現実がそこにはありました。

出典:www.facebook.com

上野さんたち消防団の仲間で始めた捜索は、次第に遠来のボランティアが加わるようになりました。そうして出来たのが「福興浜団」というグループです。

定期的に行っている捜索活動は、原発事故でほとんど捜査の手が入ることのなかった避難区域、海辺を中心に、家や車の瓦礫をかきわけ、砂を掘り、消波ブロックの隙間にもぐり込んで遺骨や遺品を捜します。

「自分の家族だけじゃなく、全ての行方不明者が見つかるまでやる」

想像を絶するほど肉体的にも精神的にも辛い作業を誰の力も借りずに行ってきた上野さんたちの思い。
だからこそ、南相馬だけではなく、浪江町や大熊町、富岡町、時には宮城県で、その活動を行いました。

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